川路聖謨 |
かわじ としあきら |
享和元年4月25日、豊後日田代官所の属吏、内藤吉兵衛の長男として生まれる
が、直参旗本川路家の養子となり、勘定所の筆算吟味に合格して勘定方に勤める。
天保6年、仙石騒動の裁きが認められ、勘定吟味役に抜擢され、以後、佐渡奉行、
奈良奉行、大坂奉行を経て。嘉永5年、勘定奉行兼海防掛となる。
蛮社の一員であったが、老中水野忠邦について阿部正弘に能力を買われ、重
用される。
嘉永六年のペリー来航に際しては、国書の受理を主張し、開国を唱える。又、
長崎でロシア使節プチャーチンと交渉し、その人となりを、使節の秘書とし
て長崎に来た小説家のゴンチャロフに激賞されている。
翌安政元年、下田で日露和親条約に調印。
安政5年、日米修好通商条約調印のため奔走したが、開明的性格を井伊直弼
に疎まれ、左遷される。
しかし、文久三年には外国奉行として返り咲いた。
慶応4年3月15日、江戸開城の翌日、割腹してピストル自殺を遂げた。67歳。
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